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意中の彼をこれで振り向かせましょう!大人恋愛まとめ

中学や高校の頃の自分の恋愛観っておさなくて、可愛らしいと思う反面、すこし子供っぽいなと思います。大人になって年の離れた人と恋愛するともしかして相手がそう思っているのかもって不安になりますよね。今回は、映画や本からまなべる大人恋愛をピックアップしてしました!よい作品ばかりなのでじっくとご覧ください!
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三島由紀夫の『美徳のよろめき』は、現代のライトな不倫そっくり!

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『美徳のよろめき』は、当時“よろめき”という流行語を生んだ三島由紀夫の話題作。不貞とは、美徳とは……危うさと理性のゆらぎを緻密に描き出しています。



『美徳のよろめき』は、こんなお話

ひたすら上品な家庭で育った節子は、ユーモアには欠けるがその立ち居振る舞いや言葉の返し方、反応の仕方から誰もが認める優雅な婦人へと育ちました。他に交際した男もなく、親の言うなりに倉越と結婚し倉越婦人となります。

が、たった一人、夫と結婚する前に接吻を交わした男があった。その接吻は、お世辞にも上手だとか女慣れしている風でないのですが、余計に節子の思い出に深く刻まれていて、結婚し子どもを設けたのち夫との関係がなくなると、時折その接吻に想いを馳せることがありました。

その男、土屋とは折々の集まりで顔を合わせることがあり、ある日のある舞踏会で土屋と一曲踊った後日、土屋が節子を呼び出し……。

節子の育た環境と状況、その性格あってこそ成り立つ不倫の恋

節子はとことん天邪鬼で、人の気持ちよりも自分の状況や感情を優先するタイプの女です。子どもを一人産み、裕福な家庭の婦人として社交界でも充実した毎日を送りますが、大恋愛の末に結婚した訳でもない夫とは穏やかな関係でありながら、いまいち刺激に欠ける生活に不満を持っています。

ちょっと驚くのは、粛々とその日常を受け入れながら、しかし子どもに対しては特別に愛情深い訳でもなく、「投げやりな母親」として描かれていて、「もし神経質な子供であったら、母親の愛情の気紛れさに、病気になってしまったことであろう」、つまり丈夫な子供で病気の心配はなかったというのですが、干渉してこない夫と気丈な息子、さらに裕福であるという三つの要素は、節子が時間と自分を持て余し、夫以外との恋へ情熱を持つ十分な土台が出来上がっていると言えます。

節子は結婚前に一度だけ夫以外の人、つまり土屋と交わしたキスを印象深く覚えていて、それは一見男性経験が他にないからと考えてしまいがちかもしれませんが、その実節子個人の性格によるところが大きいように思います。もっとドライで真面目な人であれば、結婚前のことなどすっかり忘れて地位もお金もあり何不自由ない暮らしに没頭できたはずです。

この小説の一番面白いところは、節子の性格の難儀さかも知れません。その性格を表すヒントが、物語全体に散りばめられています。

土屋との恋愛で節子の払った代償、払わずに済んだ代償

土屋と出会ってから、節子は二度妊娠して、二度とも人知れず堕胎します。これは驚くような展開です。特に初めの妊娠は、正真正銘夫の子だったのですから。それにも関わらず、一度目は進行し始めたばかりの土屋との恋愛を優先させ、二度目は、不義の子であるという理由と土屋が困るであろうから、と愛の証で堕胎を決意するのです。

節子は土屋との恋愛に際して、自分は正気を保つようにと何度も心に誓っているのですが、実際はもう始めからすっかり土屋中心の生活になっていたのです。しかし、節子の育った環境、つまり道徳的で欲望に煩わされたりせず、堅実で真面目であると言った美徳心から、常に節子はいつかの終わりを意識してもいます。節子の父親との会話は、決定的に節子に土屋との別れを決意させるものでした。

節子のしていることを知らない父親の言葉に、節子は自分自身も持っていたはずの美徳を思い出したのです。無論決意したからといて、涙が出ないわけでも悲しくないわけでもなく、また土屋を愛したことが簡単に片付けられるはずもありませんが、その後数ページに渡る節子の気持ちの持ち方は、人間味がありながらも一時は喪失しかけた美徳を持って行動しているらしいことが分かります。

永い婚約期間中の幸福や危機を洒脱に描く若い二人の初恋物語 三島由紀夫『永すぎた春』

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有名大学法学部に通う真面目な学生である郁男は、学校の門前にある古本屋の娘が美人だと聞いて友人と覗きに行きました。才色兼備で学生たちの間では太鼓判を押される程、魅力を持つ百子に郁男はすぐに惹かれ二人は付き合うようになります。

『永すぎた春』は、こんなお話

郁男の両親は息子と百子の結婚に渋っていて、ようやく二人の結婚を承諾された時には、一つ条件が付いていました。郁男が大学を卒業する一年三ヶ月後まで結婚を待つ、というものです。

両方の親の公認になり、許婚期間が始まると、郁男はすっかり安心して既に夫になったようなつもりでのんびりしているのが百子にはどこか物足りない気がして……。

今では珍しい許婚という関係

許婚というのが現代ではピンと来ないかもしれません。婚約期間と何がどう違うのか、という気もしますが、恋愛結婚が主流になったといえど、まだ結婚は家同士の問題だという意識の強い時代の物語です。ですので、当人同士がいくら結婚をしたいと主張したところで両家の親が許しを与えなければならず、だからこそこの物語の場合、婚姻を許されたと書いて許婚という言葉が当てはまるのです。

身分違いという言葉が本文では使われていますが、身分も違えば、郁男の母と百子の母の受け答えが全くちぐはぐで、冗談一つ取ってみても通じないのは親世代が付き合ってきた友人環境の違いが顕著に顕れているのかもしれません。

また、付き合っていても、結婚を許されないうちは互いの家への遠慮だとか、おおっ広げに二人で出かけたりといったことに躊躇することもあった二人ですが、許婚になったあとは、郁男は百子の家へお邪魔するのにもすっかり若旦那気分で悠々と入っていきます。

家族のいる家の中で百子と二人きりになるのにも、平然と部屋の扉を閉め、接吻までごく自然と出来る。いい面もあり、しかし人目を忍んでも会いに来てくれるだとか、何としても結婚をしたいといった情熱は必要ではなくなった為に百子は物足りないような気がするのです。ちなみに、1幕の最後で描かれる接吻の描写は映像を見ているかのような美しい描写がされています。

常識的な二人を非常識な人たちが狙う為に起こる危機

何の問題もなく、確かに愛し合っている二人ですが、それでもふとした気まぐれや独身への名残惜しさから、それぞれに誘惑されてしまう展開があります。浮気心です。これはもしかすると、出会ってから結婚へ一直線の二人であったなら、起こり得なかった展開ではないでしょうか。先々に結婚する予定があり、中途半端に時間や恋愛の情熱を持て余してしまっているからこそ招いたことと捉えることが出来ます。

郁男などは、女の家へ上り込むまでしてしまうのです。そこへ事情を知る郁男の友人に伴われ、百子がやってくるのですから、大変見モノ。百子は泣き叫んだり、罵詈雑言を浴びせる訳でもなく他の女の部屋のソファに座る郁男の隣に腰掛け、その手を握るのですが、その辺りから、百子の賢さ、気丈さがよく見て取れるでしょう。

郁男は特に育ちの良いお坊ちゃん気質で、善意の人間しか見たことがなかったこともあり、僻みや妬み、意地悪心から人の幸福を引き裂こうとする人々を目の当たりにして思い悩みます。

また百子も、浮気心に負けそうになった郁男の弱さを知り、自分に危機が迫った後はそのせいで郁男を悩ませてしまうことにすまなさを感じるのですが、そういった永い春の間に起こる一つ一つの事件が、少しずつ二人の絆をより強固なものに実現していくというのが、この小説の大きなテーマの一つと言えるでしょう。

バツイチ女と金のない年下男の逸脱的な苦味ある恋愛小説 三島由紀夫『肉体の学校』

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仕事をバリバリとこなし、自由な独身生活を謳歌する妙子には、自分と同じく離婚経験のある仲の良い友人、鈴子、信子がいます。三人が三人とも戦争前は上流社交界で育ったバックグラウンドを持ち、所作一つとっても他人にそれを思わせるだけのエレガントさを持ち合わせているのです。中でも妙子は三十九歳だが、スタイルも美貌も衰えてはいません。

『肉体の学校』は、こんなお話

妙子は、ゲイバーでバーテンダーとして働く千吉と出会い、妙子は強く惹かれて行く。若く、地位も何もない千吉に惚れて行くことに葛藤を持ち合わせながら、ますます深く惚れ込んで行くのだが…

妙子のファッションは彼女自身を表している

まず『肉体の学校』で見どころとなるのが、妙子の洗練されたファッションです。洋裁店を営む妙子はそれも手伝ってファッションが自分や他人に与える効果を正確に知っています。例えば、大使夫妻に招かれるカクテルパーティーでは、店の上客である夫人より目立たぬよう黒のスーツを着て行きますが、それでも最大限魅力的に見せることを忘れません。洋裁店の店主が地味だったら客が付いてこないことを知っているのです。

その描写には、一寸一般人には分かりづらいファッション専門用語が並び、その中でもかろうじて「シャネル・スーツ」だとか、「黒真珠」、「長手袋の上にダイヤの指輪」、「服地に合わせてブラック・サテンの香水」と言った単語で、読者は妙子の身なりにかけるこだわりや上質感を感じることが出来ます。

また、出向く場所や、会う相手によって服はもちろんアクセサリーなど選ぶものを変えるのもお洒落上級者。会う相手を不快にさせず、尚且つ自分の商売にも一役担う為の服装選びを見せることで、妙子の心配り、また気の回る女性だということを伝えています。

しかし、千吉との念願の初デート、二回目のデートと共に見栄と気が回りすぎて失敗してしまうのですが、その辺りはまた、恋愛に振り回され本領を発揮できない妙子を表しています。

最後の一文もまた、妙子の服装を描写していますが、このことからも分かる通り妙子の服装が彼女の心や状況を表す一つのバロメーターでもあります。

妙子と千吉の不健康で不誠実な関係性

千吉と同棲を始めた妙子ですが、千吉は初めに「自分の自由を縛ってくれるな」と条件を出します。この二人は純粋な恋人同士ではなく、妙子が他の誘いを受ける可能性のあるゲイバーに千吉を置いておくことを嫌がっての身請けと同じような状況だったので、妙子は恩をチラつかせて千吉を縛ることも出来たのでしょうが、そうしては千吉が逃げると考え、承諾します。また一途で妙子に律儀に恩を返そうとする千吉なら、妙子は千吉にここまで惹かれなかっただろうというのが、逆説的なところです。

そして妙子が嫉妬のストレスから脱却する為最終的に行き着いたのが「互いに浮気をしても承認し、その恋人を紹介し合うこと」という常識からは外れた提案でした。妙子はちっとも浮気などしたくないのに、何人もの男を友人である鈴子に紹介してもらって、その中の一人とついに関係を持ちます。もう既にこの時点で妙子と千吉の関係は破綻していると言えますが、実際にどこから二人の関係が破綻していたのか、また破綻すべき運命だったのかは読んでいると一目瞭然として気がつきます。

妙子の始末の付け方や自分で責任の取る為の姿勢、また妙子に言わせると千吉の無欲の野心などからは、三島由紀夫の考える大人とは……の、その片鱗を読み取ることの出来る一冊でもあります。

三島由紀夫『夏子の冒険』は、気持ちの赴くまま恋の冒険をする若く美しい我儘娘のお話 

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二十歳の美しい良家の娘、夏子は在学中から数多交際を申し込まれてきました。が、昇進に燃える若者も、どんなに秀才で、また野心を持つ青年も、芸術家を目指す男も、育ちの良い金持ちの息子でも、夏子は決して靡きませんでした。

『夏子の冒険』は、こんなお話

夏子は真に情熱家で、いつでも情熱的な光を瞳の奥に持つ男を探していたました。しかし都会の男たちにはその情熱を一つも見いだすことができませんでした。

そんな折、夏子は「修道院に入る」と家族へ宣言。夏子に想いを寄せる多くの男性たちに名残惜しまれながら、夏子は函館にある修道院へ入る為、母、伯母、祖母を伴って船で旅立ちます。すると、そこで夏子は探し求めていた情熱を秘めた瞳を持つ一人の男を見つけて……。

夏子の気まぐれと我儘は素直で自分に忠実の証

夏子の父も母も他の家族も、誰もが当たり前のように、そのうちそれなりの男へ嫁ぐと思っていた夏子が、修道院へ入ると言い出したところから夏子の物語は始まります。

若く美しい娘の突然の出家発言は、一見我儘で気まぐれのようでいて、その癖夏子は一度言い出したことは違えないという辺りが余計に厄介であるのが面白いところです。

そして夏子自身、一時の気の迷いで出家を口にしたわけでなく、数多の男性たちに言い寄られてきたにも関わらず、どの男の後ろをついて歩いても素晴らしい世界に行ける気はせず、また想像もできない、ならばいっそ、修道院に入り祈りに身を捧げる方がよっぽど楽しいに違いないという結論へたどり着くのが、驚くべき逆転の発想、そして思い切りの良さがあります。

現世にこれ以上失望したくなかった、というのもあるでしょう。多少我慢をすれば、裕福で不自由のない暮らしが約束されているにも関わらず、夏子はそれを是とはしなかった。この辺りに夏子がただの気まぐれや我儘なんかでなく、一本気で素直、自分に忠実な女性だということが見て取れます。

夏子の恋心と井田の恋心の行方

仇の熊を狩りに行く井田にとって、初めはお荷物でしかなかった夏子が自分を追いかけてくるうちに、「女から持ちかけられた恋は大抵男をうんざりさせるが(中略)……その不思議な情熱の企みには尽きせぬ興味を持たされて……」というところから分かるように、第12章で描写されている井田の心情で、初めて井田がすっかり夏子に参っていることを表しています。

面白いのは、夏子は井田の元恋人を殺した熊に仇を討つ為の情熱を宿す井田に惹かれるのであって、本文には一向に夏子が井田の優しさや労りに感じ入っただとか、そういった描写は出てきません。井田の整った顔立ちの造形でさえも二の次で、夏子にとって重要なのは、瞳に情熱が宿っているかいないかなのです。

無事熊を討ち取り、井田と家族と揃って東京へ帰る船の中で、夏子は普通の女の子のように未来の夫とのこれからにウキウキしている様子はありません。もう最終局面であるのに「これはおかしいぞ」と読者に雲行きの怪しさを感じさせます。

一方で、夏子との将来に想いを馳せる青年の優しく愛ある平和な心。これはあくまで夏子の冒険であって、井田の恋物語ではないということを思い知る最後の夏子の一言がいっそ痛快で、ラストまでしっかり楽しませてくれます。

青山七恵が描く、女の子にモテモテの鮎太郎の恋遍歴 『わたしの彼氏』

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綺麗な顔立ちの上、偉ぶったところがなく優しい鮎太郎は、女性にモテモテ。いつも女性の方から鮎太郎を好きになるけれど、付き合いを始めると最後はなぜか鮎太郎の方が振られてしまいます。

『わたしの彼氏』は、こんなお話

鮎太郎は振られるたびに真剣に悲しみ、涙する。そして、鮎太郎が、次に出会ったのは地味で無愛想なコドリさんという女性。なんと、彼女は次第に嫉妬に狂い鮎太郎を包丁で刺してしまうのです。そして次に知り合ったのは年下のサッちゃん。サッちゃんの為にアルバイトを増やし、欲しいものを次々と買ってあげるも、サッちゃんも最後は他の男と共に去ってしまいます。一方で自分を健気に想い続けてくれる同級生には惹かれることが出来ず、どうしても鮎太郎は幸せになれません。報われない恋ばかりしてしまう鮎太郎の真剣な恋探しが、読んでいる者には切なく感じます。

鮎太郎がコドリさんに惹かれた理由とは?

鮎太郎が初めてコドリさんに惹かれたシーンは、非常に美しげに書かれています。カーテンの閉め忘れた西日の差し込む部屋。何か張り詰めた緊張感を感じ、軽く微笑んだコドリさんから、鮎太郎は目を離せなくなる……例えその部屋が乱雑に散らかっていても、鮎太郎とコドリさんの他に姉がいたとしても、やはり鮎太郎の中でその瞬間にコドリさんが他の人とは違う特別な存在になったのです。

たったそれだけで? と思いがちですが、まさしくこの時の鮎太郎は「恋に落ちた」状態と言えるでしょう。また、以前に振られたリリーの姿を見て、コドリさんを模したコケシが頭に浮かぶ描写も鮎太郎の中で心が移り変わったことを表しています。

それより少し前には、鮎太郎はいつかリリーとまた付き合うことになると信じていますが、鮎太郎の心の一途さと移ろいやすさがよく対比されていて、見どころの一つと言えるでしょう。

また、年下のかっこいい男の子を恋人に持つことになったコドリさんの心境もまた察して余りあります。鮎太郎は潔白ですが、コドリさんは信じることができず愛ゆえに鮎太郎を刺してしまう。それさえも、鮎太郎は怒りに狂うのではなく淡々と受け入れるのです。

鮎太郎はなぜ最後に振られてしまうのか?

コドリさんとの恋が不完全燃焼に終わってしまった鮎太郎なので、サッちゃんから好意を寄せられてもすぐには答えることはしません。事あるごとに、コドリさんを心の中で引き合いに出して、まだ自分の気持ちがコドリさんにあることを確認します。

しかし、そういった行動、思考をする時点でコドリさんのことを忘れてきているとも言えます。鮎太郎がサッちゃんのことをコドリさんへ注ぐのと同じくらいの情熱で好きだったかと言うと、残念ながら直接的な描写はありませんが、しかしサッちゃんの為に学校を休んでまでアルバイトを増やし、献身的に貢ぐのは、鮎太郎自身の心の隙間を埋める為と、サッちゃんへ少なくない愛情があったからです。

が、やはりサッちゃんも鮎太郎の元から去ってしまいます。なぜか。コドリさんともサッちゃんとも、まともで健全とは言えない関係でしたが、どちらの時も鮎太郎は女性がしてほしいと言ったことを忠実に実行していましたし、また思いやりも持っていました。それがどういうわけか悲恋に繋がる、この辺りは特に個人それぞれの読解を得たいところです。

また、なぜ鮎太郎に最初からずっと想いを寄せ続けるテンテンには惹かれないのか。テンテンは他の男性からはモテモテです。鮎太郎に嫉妬心を持つ男の子もいたくらいです。テンテンの気持ちを受け入れる事が出来ていれば鮎太郎は幸せになれるはずですから、これも想像力の発揮しがいのある部分ではないでしょうか。

直木賞候補だった作品『ツ、イ、ラ、ク』

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読んだ人の多くが、自分の小中学生時代を思い出す『ツ、イ、ラ、ク』。 ストーリーの中心は主人公達の恋愛ですが、その恋愛ぬきでも読める小説です(恋愛の部分はスト―リーの途中まで出てきません)。

『ツ、イ、ラ、ク』は、こんなお話

主人公以外の登場人物のこともとても生き生きと描かれていて、身近にいる人を想像しやすいと思います。
ドラマや映画のスピンオフみたいな短編集『桃』も出ています。『ツ、イ、ラ、ク』を読んだらこちらの短編集も読んでほしいです。

リアルな小学生の世界

ストーリーは、田舎のリアルな小学生の世界から始まります。リーダー格の生徒、その子に従う子、ひとりでいるほうが好きな子、お調子者な子、読者が小学生だったころにもいたような子達が描かれています。
小学生は子供だけれど、大人とくらべても決して楽な世界ではないということを思い出させてくれます。
リーダー格の子に従うタイプの子じゃなかった人は、とくに感じることが多いかもしれません。

主人公(女子)はひとりでいるほうが好きなタイプの子なので、群れるのが苦手だった子供時代を振り返り、私もそうだったと共感しながら読めると思います。

ある日突然恋に堕ちた主人公

主人公達が中学校に上がってからの描写もリアルです。小学生のころから出てきた登場人物達が少し成長した姿を読みながら、やはり「こういう子達、自分が中学生のころもいたな」と感じると思います。
目立つタイプではない(けれどもてる)主人公は、中学校の先生と恋に堕ちます。もちろん誰にも言わない秘めた恋なのですが、こういうことは黙っていてもばれてしまうという、その過程もリアルです。
自分が中学生のころに、同じ学校で生徒と先生の恋愛スキャンダルが起きたとき、自分だったらどう思っただろうか、どうふるまっただろうかと想像しながら読んでほしいです。

恋愛スキャンダルの20年後

中学生時代の後は、いきなり主人公達が30代の大人になった設定で描かれます。恩師の葬儀(あるていどの年齢になると葬儀が増えるというのもリアル)や同窓会、昔なじみとのやりとりなど、自分が住んでいるところもこんな感じだと思う人が多いと思います。
主人公はふるさとから離れたところで暮らしています。そこで再会をするのです。再会のシーンは今までのリアルさとくらべてだいぶドラマチックです。
この再会に感動できるかどうかは人によってわかれると思いますが、かりに感動できなくてもそこにいたるまでの流れを読めば感じることが多く、それだけでも読む価値がある小説です。

難しい事は考えずに見れる『花咲ける騎士道』

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『花咲ける騎士道』(2004劇場公開)は、名作『花咲ける騎士道』(1952)のリメイク作品です。フランス映画は見てみたいけど、難しい話はよくわからないという人も気軽に見れる作品です。

『花咲ける騎士道』は、こんなお話

『花咲ける騎士道』は、コミカルなストーリーで最初から最後まで楽しく見れますし、主人公たちの剣による戦いも爽快です。政治的な問題はあまり気にしないで見れるので、登場人物をまっすぐに見れます。

史実を真面目に考えてしまうと、「ちょっとこの人は嫌い」なんて人でも、この『花咲ける騎士道』ではお茶目に見えて好きになれるかもしれません。

予備知識がなくても見やすいフランス映画『花咲ける騎士道』

『花咲ける騎士道』の舞台は18世紀末のフランス。まだ革命が起きる前の時代。ルイ15世は戦場の前線に居ます。といっても戦うのは兵士であって、王やその周りに仕える従者や貴族は、普段と同じ優雅な食事をしたりして過ごしています。

戦の知識がないルイ15世は能天気です。兵士の数が端数できりが悪いからと「揃えろ」とどうでも良い命令をしたりします。その揃えた兵士の中に、主人公ファンファン(ヴァンサン・ペレーズ)がいるのです。テキトーに集められた兵士の中に、これまた成り行きで兵士になるファンファン。

その成り行きというのも、イカサマ占い師アドリーヌに「将来将軍になって、王女と結婚する」と言われたからというくだらない理由です。物語はそういった他愛もない出来事で進んでいきます。厳かなフランス宮廷や騎士が見たいという人には向きませんが、知識がなくても楽しめる作品となっています。

名作のリメイクなだけに『花咲ける騎士道』は色々と豪華

名作「花咲ける騎士道」の50周年記年作品という事もあり、色々な所に豪華な要素が散りばめられています。監督は『Taxi2』や『Taxi3』のジェラール・クラヴジックですし、『クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア』のマリウス役等を演じたヴァンサン・ペレーズが主人公です。

ちなみに、今作には映画『ポンパドゥール夫人』でポンパドゥールを演じたエレーヌ・ド・フジュロールが、またもや同じ役で登場します。ちなみに映画初見時は気づきませんでしたが、その『ポンパドゥール夫人』のルイ15世役を、本作の主役ヴァンサン・ペレーズが演じています。

通りで見覚えのある顔が多いと思ったわけなのです。また日本語吹き替えも中々豪華です。主役ファンファンには、声優界では帝王とも呼ばれる森川智之が声をあてています。彼はキアヌ・リーブスといった名俳優の担当声優でもあります。また「セーラームーン」や今では「のび太のママ」でもある三石琴乃が占い師アドリーヌを演じています。

他にも、善人も悪役もできる石塚運昇がルイ15世に声をあてています。小さい子や若い人には「ポケモンのオーギド博士の人だよ」というとすぐわかることでしょう。こういったアニメやドラマや映画、様々な分野で活躍する声優を起用しているのも見どころの1つです。

見る人を楽しませてくれる映画

どうしても史実の国王ルイ15世やポンパドゥール夫人というとヴェルサイユ宮殿のイメージを思い浮かべることでしょう。ですが今回はヴェルサイユのお話はなしです。

国王は戦地の前線にいる設定で、ポンパドゥール夫人も王女と随行しています。本来雲の上の存在の彼らに、主人公ファンファンやアドリーヌが思いがけず接点を持つわけです。ポンパドゥール夫人は王女と馬車で移動中に暗殺されそうになり、たまたま居合わせたファンファンに助けてもらいます。

そういったことから王に関わる陰謀にファンファンらが巻き込まれていくわけでもあります。ただこの字面を深く重く受け止めないで下さい。ファンファンはあくまでお気楽に、そういった陰謀を軽やかにかわして「王女と結婚するんだ」と意気込んでいるに過ぎません。

彼は牢屋に閉じ込められることがあろうとそれは変わりありませんでした。そして、最後の最後にはしっかりファンファンが悪をやってつけて、ハッピーエンドをむかえてストーリーは終わります。ここまで気持ちよく終わる作品はそうないでしょう。

『ソドンヨ』 アジア版ロミオとジュリエット

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朝鮮の三国時代。百済の王子と新羅の王女の恋を描くアジア版のロミオとジュリエット言える作品。百済の王の四男として生まれるも、平民として育ったチャン。優秀な技術者に成長していきます。そして、百済を訪れていた新羅の王女、ソンファと出会い恋に落ちます。

『ソドンヨ』は、こんなお話

自らの出自を知ったチャンは百済の民の幸せのために、自らが王となり、国を富まそうと志します。しかし、ソンファの国、新羅は百済の敵国です。許されぬ恋に苦しむ、チャンとソンファの姿を描きます。

ソンファ役のイ・ボヨンが可愛すぎる

とにかくイ・ボヨンが可愛すぎます。イ・ボヨン見たさにこのドラマを見続けたといっても過言ではありません。もう一回見たくなってきました。許されない恋に悩みながらも、チャンが王位につけるよう陰ながら、支えるソンファ。

男性の理想の女性像なのかもしれません。フィクションですから、韓国人男性の理想が多分に盛り込まれていると考えられると思います。ということは、実際にはこういう女性はいないという事なのでは?と思いつつも見てしまいます。しかもお姫様ですからね。

日本にはお姫様が実際にいますが、韓国にはもういません。なので、さらに美化されているのかもしれません。

『ソドンヨ』 は、アジア版のロミオとジュリエット

チャンは百済の王子。ソンファは新羅の王女。朝鮮半島の三国時代、二つの国は互いに国の存亡をかけて、争っていました。

出会ったときは、お互いの素性を知らずにひかれあう二人。お互いの出自が分かってからは、許されぬ恋に悩みます。

チャンは平民として育ちましたが、優秀な技術者になり、武力ではなく技術力で国を富ます王となることを決意します。

もし成功すれば、新羅にとって、戦が不利になるため歓迎できません。ソンファは父である王の意向に反して、チャンを支援します。

平民として育ったチャンには、後ろ盾がなく、王になるべく権力争いに身を投じるわけですが、ソンファはチャンを献身的に支えつづけます。

聖徳太子も『ソドンヨ』に登場!!

百済は日本と友好関係にあり、外交使節の往来、人々の往来も行われたようです。作品の中では、日本への使節として向かう王族と、訪問先の日本の王族、聖徳太子についてのセリフも見られます。当時の日本にして、海外に名を知られるとは、誇らしい限りです。

一説によると当時の日本語と朝鮮語にはあまり違いがなく、かなり口頭での意思疎通が可能であったといわれています。

能登半島はかつて、500年前から多くの朝鮮からの移民が住んでおり、方言の語尾を伸ばす感じが、朝鮮語にそっくりです。何かと親近感がある朝鮮半島ですが、その歴史を知ることは、教養として良いことだと思います。

幻の国渤海の建国物語『テジョヨン』

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高句麗滅亡後、渤海国を建国するテジョヨンの一代記。誕生した際に将来王になると予言されたテジョヨンは、高句麗の大将軍ヨン・ゲソムンの命により、奴隷として育ちます。その後、自身の出自を知ったテジョヨンは高句麗の将軍となり、唐の侵略軍とたたかいます。


『テジョヨン』は、こんなお話

高句麗滅亡後は、渤海国を建国します。北方騎馬民族、契丹とも手をむずび、一大帝国唐の追撃を退け、テジョヨンは朝鮮民族の新たな国を建てるべく、奮闘します。『テジョヨン』は全134話の歴史大河ドラマです。

日本人にはわかりにくい大陸騎馬民族

四方を海に囲まれ、国境があるようでない日本人にとって、大陸にいくつもの国があり、国境を接している状況は中々理解するのが難しいです。

しかし、大陸では、多くの騎馬民族、漢民族、朝鮮民族等が暮らしており、国を営んでいます。朝鮮半島は一説によると、中国の王朝から500回以上侵略されており、朝鮮の歴史とは、すなわち外敵との闘争の歴史と言っても過言ではないのではないでしょうか。

当然、東アジア最大の中華の大国と国境を接する朝鮮民族としては、他の民族と同盟を結び、ともに対抗することを考えるはずで、現代でもそうですが生き残るのが大変だったでしょう。

韓国大河ドラマならではのハラハラ感

通常日本の時代劇は一話完結の連続ですが、韓国の時代劇は大河ドラマという事もあるのでしょうが、凄くピンチを迎えた状態で、次回放送となります。従って、次の放送まで、はらはらしながら待つこととなります。

DVDなどで視聴する場合は、一気に見てしまいます。しかし、全134話ですので、非常に日数はかかります。よく見る人は倍速再生で見る人もいるくらいです。

私は個人的にこの話のクライマックスで次週持越しになる構造を週刊ジャンプ方式と呼んでいますが、起承転結の転で次の話の放送になります。歴史ものであり、結果が分かっていて、なおハラハラします。

幻の国、渤海の成立過程

渤海。高校の世界史に少し出てきた気がしますが、あまり詳しくは知りませんでした。能登半島の小さな町に渤海国の領事館があったと聞いたことがあり、どんな国だったのだろうと思っていました。

まさか、高句麗の将軍が騎馬民族と協力して作った国だったとは。いわば、難民が避難先で新しい国を作ったようなものです。しかも、遠く日本にまで領事を派遣していたとは、驚きというか、尊敬の念すら持ちます。

これだけ偉大な先祖を持つ朝鮮半島の人々が、今は二つの国に別れて争っているとは、残念としかいいようがありません。

高句麗建国を描く『朱蒙(チュモン)』

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紀元前80年頃、朝鮮半島北部は漢の国に支配されていました。漢の厳しい支配から逃れた流民を救うため、立ち上がったタムル軍。タムル軍を率いたへモスの子、朱蒙。へモスの親友で扶余の国の王子クムワは、行方不明となったへモスの子、朱蒙を自分の子供として育てます。

『朱蒙(チュモン)』は、こんなお話

やがて朱蒙は漢に苦しまされる流民を救うべく、立ち上がります。中国大陸を統一し、朝鮮半島を支配下に置く、当時世界最大の国、漢。漢に反旗を翻した朱蒙は志を一つにする仲間と共に独立を目指します。

漢の圧倒的技術力を背景にした武力

まず初めにおさえておくべきなのは、この物語は日本で言えば、卑弥呼より前の時代です。従って、描かれている内容は、ほぼ神話のというか、想像です。詳しい文献が残っているわけではありません。

ですが、逆にこのドラマを見ると、韓国人が自分たちの国がどうありたいと思っているのかがわかると思います。つまり、こうだったらいいなという韓国人の希望が反映されているからです。

当時、中国以外の周辺国はまだ、青銅器時代であり、鉄器を持っていませんでした。漢は鉄器どころか鋼鉄を開発しており、その武力の差が切ないまでに描かれています。文字通り、歯が立ちません。

週刊少年ジャンプ張りのアップダウンの激しさ

日本の時代劇では、必ず一件落着してから、終わります。しかし、朱蒙では、必ず事件やピンチの真っ最中で放送が終わります。

私はこれを週刊少年ジャンプ方式と自分と呼んでいるのですが、構造はこうです。物語の起承転結の転の部分で話を分ければよいわけです。そうすると、次が気になってみたくなります。

水戸黄門や遠山の金さんのように必ず一件落着する構造ですと、安心感はありますが、次週見なくてもあまり影響はありません。しかし、ピンチに陥り、崖から落っこちる直前で放送を終わられてしまうと、次が気になります。これが韓国歴史ドラマ共通の人気の秘密と思われます。

最後まで描かれないもどかしさ

日本の大河ドラマだと、例えば武田信玄の人生のクライマックスが川中島の戦いだとすると、川中島は当然描きますが、その後の生涯も必ず描きます。関ヶ原の戦いの後の徳川家康、厳島合戦の後の毛利元就。必ず描かれます。

しかし、朱蒙では、漢との決戦に臨んだ朱蒙のその後は詳しく描かれません。結構すごいんですよ。実は、高句麗はその後、兄弟国の百済、新羅を生み出し、朝鮮半島の三国時代が始まります。

日本史で習う白村江の戦は百済と同盟関係にあった日本が新羅と百済との戦いに援軍を送った事で始まります。しかし、その後の高句麗の姿は一切描かれません。韓国の歴史ドラマの特徴の一つです。

『ヴィクトリア女王 世紀の愛』は現代のイギリス王室にも通ずる

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19世紀の大英帝国を象徴する君主、それがヴィクトリア女王です。映画では、彼女の若い頃、即位、そして結婚といった半生を描いています。現在も世界中に様々な国の皇室・王室があり、それぞれに良さがあります。

『ヴィクトリア女王 世紀の愛』は、こんなお話

伝統あるイギリス王室は模範にすべき良い点が多々あります。そして現代の英国王室に通ずる物がこのヴィクトリア朝の時代によく表れています。また過去も昔も女王には様々な苦悩がありました。

王として、女として、人として、政治家として、男性君主とはまるで違った悩みが沢山ありました。近代の女性君主像を映画という短い時間ながら知ることができる作品に仕上がっていました。

19世紀イギリス王室の華やかさと闇

物語の始め、国王は老齢のウイリアム4世です。ですが男子の世継ぎがいなかった為、王の弟の娘、つまりヴィクトリアを世継ぎとしました。そんな彼女が国王の誕生日に呼ばれるのですが、その誕生パーティはイギリス王室らしく、整然としながらも華やかさを誇っていました。

そんな中で一層次代のクイーンとしてヴィクトリアがスポットライトを浴びているわけです。王とヴィクトリアの関係は大変良好ながらも、王は大変な心配事、憂いがありました。

それは彼女の母ケント公爵夫人とその愛人でもあり個人秘書のジョン・コンロイ卿の存在です。ヴィクトリアが若くて女性であることを良いことに、彼らに摂政の如き振る舞いが目立ってきた為です。

誕生パーティという楽しげな場で王は、公爵夫人とその愛人を罵倒するほど彼らを嫌悪していたのです。ヴィクトリアも母を煙たがっていましたが、それでも実母に変わりはないので公の場で非難されている事は辛いことでした。

このように年齢的に未熟である事、女性であるという事は政治的には大変不利に、また問題を抱えやすい事をはっきりと示していたわけなのです。王位の女子継承は、メリットと同時にデメリットも如実に表わしているわけなのです。

模範になり得る王室像・女王像

母親やその愛人に圧迫されてきたヴィクトリアですが、女王となると自らの意思をはっきりと周囲に伝えました。その為、摂政政治を行おうとした母らを遠ざけました。これはかなり勇気のいることでした。

子として「親のいう事を聞く」という事は決してどこの国でもおかしな話ではありません。その反対を若くして行うというのはとても大変なことです。母らの支えをも失いかねないからです。

しかも女王という立場上、事は政治的な意味も含みます。ケント公爵夫人も王太后に匹敵する地位にいるわけで決して無視はできない存在でした。しかし「私」よりも「公」の利益をヴィクトリアは選び、彼らが摂政政治を行った場合の弊害を見事に未然に防ぐ事ができたのです。

この点はとても評価できる点で、劇中のヴィクトリアは若いながらもとても凛々しく、美しいものでした。

女王と夫アルバート公の魅力的な恋愛結婚

また『ヴィクトリア女王 世紀の愛』の最大の見どころは、ヴィクトリア女王が自らの意中の男性・アルバート公と恋愛をして、結婚する所です。政略結婚が多い王室において、これができたという事は幸せなことですし、また夢があります。

自分で相手を選び好きな人と結婚するというのは、王室ではとても難しいことです。それを成し遂げつつ、夫婦共に互いを愛し思いやることができるようになる事も大変難しい事です。だからこそ、ヴィクトリアとアルバート公の夫婦仲の良さは、憧れの対象と言えましょう。

勿論、そうなるまでには衝突もあれば、対立もありました。妻は君主で、夫は王配では、世間一般の夫婦観とはまるで違います。そういった壁も乗り越えたヴィクトリア女王は、やはり女性としても君主としても魅力ある人に思えます。勿論アルバート公も、男性として夫して大変魅力ある人物に感じられました。

『武則天 -The Empress-』は独自の視点で描かれた壮大な中国歴史ドラマ

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近年の中国の歴史ドラマは、昔のダラダラと歴史通り、史実通りに流すだけのドラマではなくなりました。

演出や脚本をしっかりと手がけて、見る人を意識した面白い作品作りをするようになりました。現代ではもうかつての「古い」中国ドラマの面影はありません。「見せる」ことをしっかりできるようになったのです。


『武則天 -The Empress-』はこんなお話

中国で人気があり、また度々注目を集める歴史上の人物が、「則天武后」つまり「武則天」です。彼女を題材とした映画やドラマは多数ありますが、現在一番壮大で豪華な作品と言えば、この『武則天 -The Empress-』です。

主演の女優ファン・ビンビンは大変の美女で、数々の衣装を着こなし、その姿を見るだけで大変楽しめる作品となっています。またかつての「武則天」とは違った描き方がされています。また数多くの名俳優・名女優が登場する作品で、注目度も大変高い作品です。

見ているだけでも楽しい『武則天 -The Empress-』の豪華衣装

この『武則天 -The Empress-』は、唐の皇帝李世民(太宗)の才人(側室の1つ)に過ぎなかった武如意が、やがて次代の皇帝・高宗の皇后となり、さらに次代では実子皇帝から帝位を奪って、自ら皇帝へ即位するというお話です。

なのでメインステージは皇帝の后妃が住まう後宮となります。彼女達は豪華絢爛の衣装を身にまとい、皇帝の寵愛を競い合いました。

また地位が上がればそれだけ経済的にも優位に立ち、衣装もより豪華になっていきました。中華風の皇后の衣装も派手ながら、側室達も負けていません。

髪を結い、髪飾りも沢山つけ、同時にそれが身分の高さも表していました。

他の「武則天」を題材とした作品では、武則天そのものは派手でも、他の側室達にまで力は入っていませんでした。

ですが、本作ではそういった今までにスポットのあたらなかったキャラクター達もとても目立つ配置となっていました。

独自の視点で作られた『武則天 -The Empress-』のストーリー

通常「武則天」というと大変な悪女のイメージです。中国史上初の女帝になった事、また他に中国史上女帝がいなかった事で、大変武則天に対してはマイナスなイメージや評価が数多くあります。

また彼女を語る上では大変残酷な話も多く、それらから目を背けて物語を見ることはできません。例えば、高宗の皇后となる前には、ちゃんとした王皇后という女性がいました。

また側室には蕭淑妃といった寵愛を受けた女性もいました。ですが彼女らは失脚して地位を失います。

反対に武如意が皇后に立后されると、彼女らは武皇后によって、ムチで打たれたのち手足を切られ、壺に投げ込まれたとも言われています。また武皇后は異母兄弟や実の姉の韓国夫人、またその夫人の娘といった親族まで毒殺したとも言われています。これらが本当なのかは定かではありません。

とはいえそういった描写が過去の作品に多かったのも事実です。

ですが、本作ではそういった事はかなり少なく、あくまで武則天は正義感の強い良識ある賢い女性として描かれています。勿論後宮における権力争いの中、手を汚さざるをえない事も沢山ありました。

あくまでそれは「生きるため仕方なく行った」というスタンスで描かれていました。この点は他の彼女を扱った作品と大きく違った点で、一定の評価ができます。

類を見ない中国史上の女帝という事で客観性に欠ける話も多いので、こういった試みは評価したいと思います。

「悪女ではない武則天」の良し悪し

悪女ではない武則天というのは、若干迫力に欠けてしまったというのも事実です。

過去の武則天の作品を知っている人だと少し物足りなさを感じるかもしれません。

というのも主演女優ファン・ビンビンは大変な美女で、演技力もとても優れた女優ではありますが、彼女ではどうしても優しく見えてしまいました。

特に物語前半部ではそれはかなり顕著です。正義感あふれる女性を演じる意味ではそのキャラにはピッタリではあったのですが、どうしても「悪女」であったとするとその迫力に欠けます。

過去の武則天の作品に出演した女優達が皆かなりの強面で、また年齢的にも中高年が多かった為、それを知っていると尚そう思えてしまいます。勿論ファン・ビンビン自身がまだ若いという事もあり、老齢の武則天を演じるには若干の無理があったのかもしれません。

ただ、今作のストーリーの根幹がそもそも「悪女ではない武則天」なので、そのストーリーを軸にすればピッタリであったと言えます。

私個人の好みとしてはもっと悪女らしい悪女を描いて欲しかったですが、ファン・ビンビンの演技力には目を見張る物も多々あったので、十分及第点を付けられる作品と言えます。

『ポンパドゥール夫人』は意外と幸薄い?

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肖像画の美しさと歴史に名を残した意味で『ポンパドゥール夫人』は、人が羨む女性に見えることでしょう。国王ルイ15世の公妾にして寵妃であった彼女は政治的にも権勢を振るいました。

ファッションにおいても「ポンパドゥールヘア」という言葉だけでなく、ロココ文化を発展させましたし、その自身の美貌においても華やかで、何一つ不満などないように見えます。


『ポンパドゥール夫人』は、こんなお話

本作『ポンパドゥール夫人』を通してポンパドゥール夫人を見ると、決して彼女が幸せであったのか疑問を覚える作品となっていました。歴史の本に記載される文字だけでは彼女の感情は伝わってこないので、映画を通して彼女の視点を知ることで、今まで見えなかったものがよく見えるようになったと感じました。

才色兼備な女性ポンパドゥール侯爵夫人

フランス宮廷を語る上でポンパドゥール夫人は忘れてはならない存在です。かつ彼女は美貌で王を魅了しただけなく、政治にも干渉しました。それは彼女に学術的・政治的才能もあったからこそです。

その為、本作に登場する皇太子を除き、意外とフランス王族からの信頼もありました。貴族女性達の多くは、彼女をふしだらな女とあざ笑う事もままありましたが、王妃等は意外と好意的で、何か問題があれば庇ってくれましたし、彼女への一定の気遣いを見せてくれました。

王妃から見れば愛人にすぎない彼女でしたが、相応の実力や人望があったからこそそのような扱いとなったのでしょう。そうでありながらも、本作のポンパドゥール夫人はかなり喜怒哀楽のしっかりとした女性でもあったので、とてもメリハリのある作品に仕上がっていました。

公妾という立場の居づらさと葛藤

歴史的に名を残したポンパドゥール夫人ですが、それでも国王の愛人という立場は辛い事も多くありました。特に本作では皇太子らにかなり酷い扱いを受けます。

嫡出の子である皇太子から見れば、「父は愛人に狂っている」と思い込んでいるので気分が相当悪いものでした。その為様々な嫌がらせをポンパドゥール夫人に行います。酷い時には彼女は爆弾を送りつけられた事もありました。

彼はさらにポンパドゥール夫人が懐妊するや陰謀を企てて、流産させてしまいます。さすがの皇太子の母の王妃や、姉妹らもこれには彼に嫌悪感を示しました。同じ女性として許せなかったからです。

ですがポンパドゥール夫人はこれにも負けず、宮廷で力を振るいました。負けん気の強い彼女が強く印象づけられたとも思います。

沢山の女性に興味を示すルイ15世

ポンパドゥール夫人は大変魅力ある女性で、かつては国王も大変彼女を寵愛しました。しかしそれも段々と薄れ、国王は違う女性とも戯れるようになります。

ポンパドゥール夫人はこの事にも耐えなくてはならず、その心労は想像に耐えません。それに耐える為か、彼女は自ら「鹿の園」というまるでハーレムのごとく空間を国王に提供し始めます。

せめて国王に侍る女性は自分で選びたかったのです。ですが自分で選んだ女性にすら、見下す言葉をかけられることもありました。この点を考えるとポンパドゥール夫人がどんなに権力を手中に収め、美貌を誇ったとしても、国王に愛されない虚しさは耐え難かったことでしょう。その意味で本当に彼女が幸せであったか疑問を感じたわけです。

韓流悪女ブーム作品の1つ、ドラマ『宮廷女官キム尚宮』

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日本において韓流ブームの火付け作品となった『宮廷女官チャングムの誓い』は、内容は知らないまでも、その名前はどこかで聞いたことあるという人は多いことでしょう。そして、そのチャングム役を演じたイ・ヨンエが一貫して悪女役をこなしたのが『宮廷女官キム尚宮』です。

『宮廷女官キム尚宮』は、こんなお話

「チャングムの誓い」では善良な女性を演じていた彼女ですが、その真逆の作品となっています。その演技力に驚かされることながら、悪女っぷりがよく表現できていて、またあからさまでわかりやすい所が面白い作品です。「ここまでやるか」というほどの悪女っぷりのイ・ヨンエの演技に注目です。

承恩尚宮となるイ・ヨンエ演じる「キム尚宮」

キム尚宮(サングン)(本名:キム・ゲシ)は元々身分が低い出身の為、時の国王・光海君(クァンヘグン)の絶大な寵愛を受けるものの、側室たる皇妃の一員にはなれませんでした。加えてそもそも彼女は、光海君の父である宣祖国王の承恩尚宮(スンウンサングン)であったからです。

尚宮は上級女官的な地位ですが、承恩はいわば「王のお手つき」のような地位なのです。出自の低いキム・ゲシに与えられる都合の良い称号であり、また実質的な父の後宮(=側室)的扱いを受けた女性であったわけです。その意味で息子の光海君が本来愛してはならない女性です。

ですがその不義をも犯して彼らは愛し合いました。その過程でキム尚宮は光海君の国王擁立への功を立てます。その為光海君の正室である王妃をも凌ぐ権力を持つようになり、官職の売買といった数々の汚職にも手を染めていくのです。典型的な悪役であるキム尚宮は、ある意味では「清々しい」ほどの人物と言えましょう。

韓国の悪女の描きは凄い

日本人の悪女像と、韓国人の悪女像は全く違います。またその描き方は典型的ではっきりしたものです。また女性であろうと、権力者となればその権勢を傘にきた姿が如実に表現されていました。

例えば、キム尚宮の乗った輿と、宣祖国王の王妃の母の乗った輿が、とある小さな橋の上で互いに反対から橋を渡ろうとして立ち往生してしまいます。本来ならキム尚宮の輿が反転して道を譲るべきでした。

法的にも王妃の母には称号が与えられおりそれが本来の姿です。ですがキム尚宮は「王の寵愛を受ける者である」とはっきり名言し、王妃の母の輿こそ退くべきとして、無理やり反転させました。王の権勢を振りかざし、王妃の母ですら足蹴にしたのです。

こういった描写がこの作品には多く、まさに「これこそが悪女」と言える存在を示していました。これはまだ可愛いもので、キム尚宮は貴婦人や上級女官だけでなく、後宮たる皇妃達にまで罵声を浴びせることも沢山ありました。恐れを知らない彼女の迫力に彼女たちは怯んでしまいました。

悪は滅ぼされるという典型例

権勢を誇ったキム尚宮も「落ちる」時が来ました。なんと国王光海君に対して謀反が発生し、国王がその地位から引きずり下ろされてしまったのです。その過程でキム尚宮も悪の象徴・悪の元凶として殺されてしまいます。

「悪い事をすれば必ず罰せられる」という典型的な例をこの作品では示していました。ただ光海君やキム尚宮側にも、一定の同情の余地があったのも事実です。政治闘争の中で幾度となく命の危険があったので、やむを得ない部分も多々あったのです。

とは言え、増長しすぎた為に身を滅ぼす事となったのです。さらに朝鮮王朝において面白い点がこの作品で見られました。それは王妃の廃位と復位です。

宣祖国王の王妃は、光海君の実の母ではありません。継母であり、後妻だったわけです。しかも彼女に男王子が生まれた為、彼女の存在は光海君やキム尚宮にとって大変邪魔な存在でした。その為様々な謀略を企てて、王妃を廃位にします。

しかし光海君自身も反乱により廃位された為、王妃は復位するのです。そして光海君に恨み節を述べるが如く彼に膨大な罪状を読み上げさせるのです。このように、悪がはびこる姿、滅びる姿、そして正義が勝つという典型的かつも史実である出来事を、うまくドラマとして描いた作品でした。

戦国を生き抜いた姫の物語を田渕久美子が描く『江 姫たちの戦国』

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江は浅井三姉妹の末妹として戦国の姫の中では有名な存在です。浅井三姉妹というと長女の茶々が注目されがちですが江も三回結婚をし、最後の相手は徳川二代将軍となる秀 忠唯一の妻と有名です。

『江 姫たちの戦国』は、こんなお話

本は上下巻からなり前半は幼少期の話からなり下巻になると江も結婚を重ね大人の女へと変わって母になった話になります。

江は伯父である信長を失い秀吉に助けられ、よく思わないながらもいろいろと助けられ、浅井から豊臣に、そこから更に徳川で生涯を終えます。注目されがちな男の目線ではなくそれを支えた女の目線で描かれる戦国巨編。

秀吉と利休、確執の末。秀吉の意地と利休の切腹

戦国を語る上で事件のひとつと、千利休の切腹は秀吉との確執の末に行われたもので利休は何も悪くなかったのに秀吉が茶の湯の席で使われた茶碗が気に入らなかったという理由だけで、癇癪を起こし売り言葉に買い言葉で切腹させる結果になってしまったという悲しい話です。

作品の中では江が利休に会いに行って説得する場面がでてきます。秀吉も利休を許したいという気持ちはあるのですが関白という立場がそれを許さず、罰を受けているのはまるで秀吉であるかのように感じられる葛藤が見られます。

天下一の茶人であっても利休は一介の町人、その町人に切腹をさせた事に江は憤り、そんな中で利休は晴れやかな気持ちで死出に旅立ったという悲しい場面です。

三度目の結婚。江と秀忠、伏見城にて挨拶を交わす時

江にとっては最後の結婚になります。最終的には仲睦まじい様子になりますが最初は最悪でした。

まず江は三回目の結婚で娘まで持っていて、六つも齢上というどうしようもない壁があります。

江は勝気なところがあるので秀忠にも強気に話します。秀忠がおっとりしていたので大喧嘩になる事はなかったのですが婚礼の儀式を終えた後の寝所でなされる二人の会話が楽しいです。

ここでも二人は売り言葉に買い言葉で「本当は嫁に来たくなかったのでは?」と秀忠が言えば「側室をもったらどうです?」と江が言うような会話をポンポンとした後、秀忠は「側室は持たない、それでは面白くない」と言い放ち江が妻になりたいと思ったら結婚しましょう」とゲームを楽しむように笑うこの場面は見物です。

その後、互いの布団を寝所の両端にまでそれぞれ引っ張って離れて寝るという現代でもしないような可愛い喧嘩をする二人の初々しい始まりを見る事ができる大事な場面です。

秀忠と江の間に生まれた三人目の子。江の覚悟と秀忠の愛

太閤・秀吉が没し関ヶ原での大戦を終えた後、江は秀忠との間に三人目になる子を授かっていました。秀忠の乳母には次こそ男の子を、と言われていますが江が産み落としたのはまたしても女の子でした。

前の夫との間に生まれた子を数えると四人とも女の子で自分では男の子を生めないのだと思った江は秀忠に側室を持つように言います。その人に男の子を生んでもらうように、と。

徳川の跡継ぎになる男の子を生む必要があると思っている江にとっては死活問題で当然の発言です。でも秀忠は、側室は持たないと言います。「妻は江、一人だけでいい」と言った言葉に感動して笑うシーンは、すっかり仲のいい夫婦になったのだなと思える大事な場面です。

西洋の女性貴族について知るなら『ある公爵夫人の生涯』がオススメ♪男女の違いをよく表した英国史劇です。

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『ある公爵夫人の生涯』は、英国貴族夫婦の華やかな社交界での生活と、その反対に夫婦共に不倫というスキャンダルを引き起こしました。

『ある公爵夫人の生涯』はこんなお話

『ある公爵夫人の生涯』は、アカデミー賞にもノミネートされ、あの有名な故ダイアナ妃のご先祖様に焦点をあてた作品で、注目を浴びました。
主演女優には、大女優キーラ・ナイトレイが据えられたこともあって、大変華やかな貴族社会を表現できた作品です。
華やかな衣装も必見ですが、夫婦共に不倫に興じ、その後の心情の変化も見どころです。 

「社交界の華」なのに夫は自分を見てくれない…

『ある公爵夫人の生涯』の主役、ジョージアナ・スペンサーは、18世紀後半のイギリスの貴族、デヴォンシャー公爵の夫人です。
貴族社会でも高位に身を置き、同時に社交界の華として大変美しい女性でした。
ファッションも最先端を行き、彼女をお手本とするほどです。
彼女の高く盛った髪には、さらに羽飾りや装飾品が沢山付けられ、大変華やかでした。
多くの貴族男性や貴婦人は彼女を絶賛します。
しかし、夫はとても冷めていました。自分の興味がある事には大変打ち込む性格でしたが、夫人に求めたのはあくまで夫に献身的に尽くし、家を継ぐ為の子作りでした。
始めはそんな冷たい夫にジョージアナは我慢しますが、そんな生活はずっと続きませんでした。
世継ぎ・男の子を望む夫というのはどこの国でも同じなんだと感じさせられる部分でもあります。また華やかな社交界とは裏腹に、心の闇の深さがより際立つので、作品としてとても演出が上手いと感じました。 

男女の身分・立場の違いはイギリスでもあった 

西洋は東洋に比べて、女性の立場がとても高いように感じている人もいるでしょう。
勿論、そういった側面は多くあります。
ですが、貴族社会における封建的な時代においては、イギリスとて昔と今では違いました。デヴォンシャー公爵は、世継ぎとなる男の子を中々作れないジョージアナにさらに冷たく接するようになります。
そんな夫を振り向かせる為様々な忍耐と努力をしたジョージアナですが、始めは女の子にしか恵まれませんでした。
公爵にとってジョージアナとの結婚はあくまで世継ぎを作る事だったので、男の子ができない事に苛立ちを募らせていきます。
すると、ついに夫は愛人を作るようになってしまいました。
公爵は愛人を自邸へ住まわせるようになり、その女性がジョージアナの友人でもあった為、大変彼女は苦悩しました。
愛人の名前は、エリザベスといい、子持ちの中小貴族夫人です。エリザベス夫人も夫から暴力を受けていた事もあり、ジョージアナも彼女に同情的だった為、より一層苦しみました。
イギリスというと、女性の人権が高いようではありますが、過去の貴族社会ではこういう事も結構あったのです。ただ、正妻と愛人が一緒に住むという光景を西洋で見ることは通常稀なので、他の作品では中々見れないとも言えるでしょう。
ジョージアナは夫には激怒しますが、結局夫が聞き入れる事はありませんでした。 

自分も愛人を作るジョージアナ

夫の不倫が許せないジョージアナ。それでも子作りには励まなくてはいけませんでした。その甲斐もあって、ついに男の子に恵まれました。そういうこともあり、さらに彼女は社交界で地位を高めました。
しかし夫との関係は冷めたままという事もあって、自分自身も愛人を作ってしまいました。

そしてついに妊娠まで!さすがの公爵も、このことには愕然としました。
自身のプライドや貴族社会における体裁を気にした為でもありますが、自分が「夫」であるという事を自覚した瞬間でもあったのです。

ただここで西洋と東洋の違いを感じさせられます。西洋では勿論この事件は、離婚にも発展するような案件です。ですが、東洋であればまず女性が愛人を作るという事自体が通常はありません。勿論隠れて行っていた人はいるでしょうが、これが彼女のように公然の秘密になっているという事はそうないでしょう。
また東洋においては、離婚ではすまず重い刑罰にかけられる事させあります。その意味では西洋と東洋の差がはっきり出た場面でもありました。
結局ジョージアナは、愛人との子を産んだのち、その子と別れる羽目になりました。

ただ、子との別れに悲しむジョージアナを見て、夫公爵の心境に変化が生まれました。夫として彼女を追い込んだことを彼が自覚できるようになったのです。
かつての冷めた夫ではなく、妻への愛を感じるようになれたわけです。それはとてもぎこちないものでしたが、努力しようとしているのがよく伝わってきました。
様々な感情を夫婦共に感じながらも、最後には彼らがお互いに愛を感じられるようになった事に視聴者もホッとできる瞬間となりました。

ヴェルサイユといえば、やはりキルスティン・ダンスト主演『マリー・アントワネット』

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ヴェルサイユといったら彼女を抜きに話は語れません。 そう、王妃マリー・アントワネットです。

『マリー・アントワネット』はこんなお話

彼女の宮廷での生涯を描いたキルスティン・ダンスト主演の『マリー・アントワネット』は、当時の贅を尽くしたフランス宮廷をよく表現しています。
というのも、意外と他のマリー・アントワネット関連の映画やドラマは、悪く言えば「それっぽい」止まりの物が多いのです。
本作では、当時のフランス宮廷の儀礼・儀式等もしっかり描いており、それだけでなく見る人を飽きさせないような工夫が多く施されていました。
BGMもクラシックだけでなく、現代風の物が多く取り入れられていました。
「歴史物はちょっと…」という人にも、飽きさせないように作られている作品です。

政略結婚の外国人オーストリア女マリー・アントワネット

意外とマリー・アントワネットの事を「フランス王妃」で片付ける人が多いですが、彼女はそもそもオーストリア女大公マリア・テレジアの娘なので、フランス人からしたら外国人なのです。
ヴェルサイユ関連のお話を知っている人は知識として知っているでしょうが、この大前提を忘れてはいけません。
日本人の感覚では、日本史上外国人皇后はいないので馴染みがないかもしれませんが、ヨーロッパの王族や貴族感では盛んに行われていました。
映画冒頭でも、彼女のフランス入りが描かれていますが、オーストリア人である事をある意味捨てなければいけませんでした。
それだけでなく、知らない異国の地で王妃と過ごすという事は本来とても大変な事だったのです。
世継ぎに恵まれなかった時は、盛んに「子の埋めないオーストリア女」と陰口を言われており、フランス人の容赦ない言葉が降り注ぎました。
決して彼女の地位というのは始めから盤石ではなかったわけです。
フランス革命が起きて王妃が引きずり下ろされる時になっても、この「オーストリア女」という言葉が消えることはありませんでした。

「無駄」な儀礼があるのがヴェルサイユ

王妃となったマリー・アントワネットは、様々な宮廷の儀礼やしきたりに縛られていました。
例えば、王妃の寝室に貴族夫人や侍女達がかしずいて、彼女の着替えを行います。
その時、王妃の着替えを着せられるのは、高貴な身分の女性でした。
ですがそれをやっている途中に、より高位の女性が来れば、その権限はその人に映りました。
その無駄な作業をやっている間、マリー・アントワネットは裸で待っていなければいけませんでした。
また、食事の時に取ったグラスを他の食事の皿がのっている机においてはならず、持ってきた女性のトレイに戻すといった所作もありました。
細かな所でいちいちマリー・アントワネットが間違えると、ノアイユ伯爵夫人が「おほんっ」と咳払いをしたりして注意していました。
こういった事が毎日沢山続けば、プチ・トリアノンにも引きこもりたくなることでしょう。
また、日本人の感覚では信じられない所作も多くあります。一番わかりやすいのは挨拶です。
日本人であれば、お辞儀といったらその角度を気にするほどその傾きが大事です。
ですが、ヴェルサイユの女性達のお辞儀は独特です。
というのも彼女達はとても高く盛ったカツラをかぶっている為、傾きのあるお辞儀ができません。
恐らく傾くとカツラが取れてしまったり、曲がってしまうからでしょう。
なので実際の彼女達のお辞儀は、どちらかというと少ししゃがみこんで、首を少し下にする程度です。
ノアイユ伯爵夫人や高貴な女性のお辞儀を見ていると、首は下にせずむしろ上を向いたままでした。
「どんだけ挨拶したくないんだ」と日本人には感じられるお辞儀の仕方で、プライドを感じさせる物がほとんどでした。

ヴェルサイユの華やかさに見える小さくも深い闇

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この映画にも登場するデュ・バリー夫人は知っている人なら知っている有名な女性でしょう。
日本の少女漫画「ベルサイユのばら」でも悪女として描かれていますが、本作でもそうでした。
彼女はルイ15世の愛人にして「公妾(こうしょう)」という地位で、宮廷で大きな顔をしていました。
日本や東洋圏の考えでいうならば「側室」に近いと言えば近いですが、全くの別物です。
それでも東洋的な考えをしながら彼女を見ると、デュ・バリー夫人はマリー・アントワネットの旦那の祖父の側室、無理やり言えば、義理の祖母とも言えるわけです。
マリー・アントワネットにとって、国王の愛人という権力者である彼女は相当に邪魔な存在でしたし、キリスト圏の宗教上の理由からも嫌悪される存在とも言えました。
ですが、それを堂々とやっていたのがヴェルサイユ宮殿だったわけです。
そんなヴェルサイユ宮殿では税金による大変な浪費が繰り返され、フランス国民の怒りを買って、最終的には革命へと繋がります。
本作では、フランス革命そのもの描写はかなり少なく、華やかな宮廷社会を中心に描かれていました。
そういった中でも、デュ・バリー夫人がルイ15世の崩御目前で宮廷から退出(実質的には追放)させられる所は、短いシーンながらも哀れながらも「真の恐怖」は去っていないことを暗示していました。
マリー・アントワネットとして見れば、邪魔者がいなくなって清々するわけですが、彼女の「置き土産」が登場する事を考えると、なんともやりきれないことでしょう。
今作では描かれていませんが、マリー・アントワネットの苦しめることになる「首飾り事件」の発端はデュ・バリー夫人にあるといっても過言ではありません。
首飾り事件は、そもそもは詐欺事件(王妃は無関係)であるはずでしたが、王妃の人気を失墜させ、革命への引き金にも鳴りかねない大事件でした。
そして事件の発端となった160万リーブルもする首飾りは、そもそもデュ・バリー夫人の為に作られていた物でした。
その価値は、当時の大型軍艦が2隻購入できる程の金額に相当します。
これだけの贅沢をしている宮廷に、国民は怒りを爆発させたわけです。
こういった知識があると、外見上華やかなフランス宮廷の見方がだいぶ変わってくるので、多少の史実としての勉強をしておくとより楽しめることでしょう。

有名な女性君主エリザベス1世の生涯を描いた『エリザベス・ゴールデンエイジ』

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歴史上実権を持った女性君主というのは少ないですが、その中でも際立つ女性がいました。 それがイングランド女王・エリザベス1世です。

『エリザベス・ゴールデンエイジ』は、こんなお話

彼女を題材にしたのが『エリザベス・ゴールデンエイジ』です。
彼女の時代の16世紀のイギリス(イングランド)はまだまだ未熟な国でした。
国を強固にしなければいけない上に、様々な陰謀が女王を襲います。
謀略や宗教問題、そして戦争…。
その当時ヨーロッパで最強だったのはスペインであり、そのスペインの「無敵艦隊」がイングランド王位から彼女を引きずり下ろそうと向かってきます。
それだけでなく、『エリザベス・ゴールデンエイジ』は数々の困難に勇敢に立ち向かっていくたくましい女性君主のお話です。
ただそうはいっても、女性である以上、その弱さを見せる時もあります。
その1つが意中の男性との恋です。それ『エリザベス・ゴールデンエイジ』の見どころでもあります。

内憂外患とはまさにこの事

16世紀のイングランドは、国内にも国外にも問題を抱えていました。
プロテスタントの女王エリザベス1世に、国内のカトリック派は過激な方法で彼女の排除を企てます。
暗殺の恐怖がある中で、決して女王の治世は安定していませんでした。
これは決して彼女個人だけの問題ではないものの、そんなことはお構いなしに、彼女に問題は降り掛かってきます。
それでも彼女は負けずに立ち向かっていきます。
同時に、たくましいその姿は生きることへの過酷さも表現しています。
さらに、スコットランド女王メアリー1世を処刑せざるをなかったり、スペインとの外交に亀裂が入り、戦争にまで発展します。
有名なアルマダの海戦も本作で描かれています。

女王統治における政権運営の難しさ

女性君主が実権を持った上で政権を担うというシーンを描いた映画はそう多くありません。
そういった場面をこの映画ではよく見られます。
老齢な男性政治家に対して、屈託なく論理的に意見する彼女のシーンは、まさにれっきとした君主そのものでした。
西洋には女王が多いものの、中々そういった場面を見れないので、『エリザベス・ゴールデンエイジ』という映画は女性君主像を学ぶ上でも役立ちます。
また男性君主と違う点がはっきりと見られました。
例えば、結婚する事で自らの地位が脅かされる可能性をはらんでいるのです。
映画内でもフランスのヴァロワ家の王子・アンジュー公とのお見合いが描かれていますが、結局彼女はその話を断ります。
彼は若くかっこいい男性であり、フランスと同盟を結べる利点はとても大きいものでした。
ですがアンジュー公がカトリックという事で宗教的にも相容れなかったのです。
また男性君主であれば絶対に言わないであろうことを、平気で周りは言いました。
「早く結婚しろ」「子を作れ」と廷臣達はせがみます。
有名な「処女王」という言葉も、これを男性に当てはめればとても失礼な表現である事がよくわかるでしょう。

女性として生きる事さえも困難

女性でありながら、国の最高位の王であれば、さぞ何でも自由にできるだろうと思うでしょう。
ですが、彼女は女性としては不自由な生活が多かったとも言えます。
確かに多くの男性と恋仲になって、その恋愛模様は人生にまたとない出会いであり、そういった経験も多くありました。
本作に登場する、ウォルター・ローリーもその一人でした。
彼への執着、そして熱い思いは彼女の性格をよく表していました。
しかし、彼は女王の侍従長をしているベス・スロックモートンとも関係をもって、女王の怒りを買います。
史実では彼はベスと内密に結婚するほどだったので、実際のエリザベス女王は相当激怒したことでしょう。
そもそもこれが男性君主であったならば、妃や愛人が同じ事をすれば大罪として断じられたことでしょう。
ですが、エリザベス女王はある意味では慈悲深くも彼を許しました。
ただ男性に負けない野太い声で罵ることはあり、中々その姿は迫力がありました。
そういった普通の女性ができることをできなかった彼女は、結局生涯結婚する事なく、「国と結婚した女王」と言われるほど国に尽くした女性となりました。
その生き方は悲しくも立派であり、偉大な君主として語り継がれるには十分な理由を映画でも表現できていたと思います。

絢爛豪華とはまさにこのこと!金ピカ衣装の『王妃の紋章』

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中国の歴史映画はどれもスケールが大きく、大勢のキャストが関わっているのでとても壮大な作品が多いです。その中でも『王妃の紋章』はずば抜けています。

『王妃の紋章』はこんなお話

五代十国の時代の後蜀王国のお話という設定で、かなり昔のお話を舞台としています。なので史実とはかけ離れているものの、金色をメインに用いた衣装に囲まれた作品で、「絢爛豪華」という言葉がピッタリな作品です。

また中国王朝に見られる独特の厳格さ・残酷さ・壮大さ全てが揃っています。

アカデミー賞衣装デザイン賞にもノミネートされるほど視覚的にとても楽しませてくれます。王宮内のシーン、軍隊のシーン、暗殺部隊のシーン等、沢山の人間が動いおり、そこに上記の3つの独自性を表現できるのは、まさに中国映画だけでしょう。

さすが中国!『王妃の紋章』にこれだけの人数よくぞ集めた!

様々な国の歴史映画を見てきましたが、ローマ帝国やエジプトをテーマとした映画を除けば、さすが中国といったスケールの映画でした。

これだけの人数で映画を作るのは大変でしょう。そしてよく作ったと感心します。

王や王妃に仕える侍女といった、正直本編ストーリーとは関係ない人達までしっかり衣装・髪型がセットされており、一人一人に荒がありません。

恐らく日本でやったらエキストラは適当に済まして、人数も少人数となってしまうでしょう。

でもそこは中国です。王や皇帝に仕える人間というのは、現実には相応の数がいたはずです。それを見事に表現していました。

制作費に50億円近くかけただけの事はありました。人の多さに特に驚かされました。

『王妃の紋章』は、中国らしいドロドロ展開が最後まで続く…

鞏俐(コン・リー)演じる王妃は、国王が密かに自身に毒を少しずつ盛っているのに気づきました。定刻通りに出される薬に混ぜられていたのです。

そこで王妃は節句の日にあわせて、菊の紋章のスカーフを大量に作成します。本来菊は縁起の良い華ですが、これは王妃が国王に対して反乱を起こす際の印となります。ところで、国王と王妃の間には三人の子がいます。

長男は亡くなった前王妃の皇太子。そして次男・三男は王妃自身の王子です。王妃は次男、王妃にとっての第一子に反乱を起こさせ、王位を国王から奪おうとするのです。ここに王妃は子への愛と同時に申し訳無さも感じますが、もはや毒を盛られている身では進まざるを得ませんでした。

次男も実父に反旗を翻すことにかなり抵抗を示しますが、毒におかされた母を見て決起します。しかし、それで終わらないのが中国史劇です。何と元々皇太子と王妃は恋仲にあったのです。

さすがの王妃も命の危険に晒されているので、もうそういう余裕はありませんが、皇太子が他の女性に興味を持つことには不快感を示していました。それだけにとどまらず、実は前王妃が存命であったり、皇太子が閨をともにした女性が前王妃と貴族の娘、つまり異父兄妹であることが発覚したりと、次々にドロドロな展開が巻き起こっていくのです。

このような展開が多数盛り込まれているので、映画に釘付けになってしまいました。

『王妃の紋章』のラストはやはり中国らしく

中国映画の宮廷物・反乱物というのは、バッドエンドの作品がかなり多いのです。恐らく現代の共産党一等独裁の中国の検閲もあるでしょうから、反乱だとか革命だとかを肯定する要素の作品は認めたくない傾向があるのでしょう。

勿論、この映画がそういった何かしらの政治的影響を受けたとは思えませんが、どこかに「悪い事はできない」「反乱は成功しない」という考えがあるのかもしれません。そしてこの『王妃の紋章』もバッドエンドでありました。

国王の性格を見ていると成功するようには思えなかったので、そこは「やはりな」と思える展開ではありますが…。とはいえ、ストーリーを面白くする為、反乱シーンにおいて一時は王妃側優勢に見せているのがポイントでしょう。

ただその優勢をことごとく破壊するのが国王側でした。その破壊のやり方も凄まじく残酷です。流血だらけとなり、血の海と表現しても良いでしょう。ラストでは王妃側が敗北しますが、国王はいたっていつもどおりに過ごします。

そして王妃に毒入りの薬を飲ませるのです。反乱の過程で、3人の子らは皆死んでしまいます。王妃の立場で見れば、「何の為の反乱だったのか」と、失ったものの多さを考えるとただただ虚しいものでした。

まとめ

大人の恋愛、いかがでしたか?


昔の恋愛は、自分の地位に直結することもあり、命がけ!そんな状況の中で恋愛をし女性は磨かれて行くのですね。

悲しい恋あり、ハッピーエンドあり。

いろんな大人の恋愛を学びましょう!



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2017/06/28   2017/06/28   コメント(0)
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